城を楽しむ3つのポイント」と題して、3回に亘って、初心者でも城を楽しく見学できる秘訣を紹介してきた。

ここで、具体的にどのように見ていけばよいのか実例を示してみたいと思う。例として、今、NHKの大河ドラマで放送中の「豊臣兄弟」の主役・豊臣秀長が奈良県に築城した大和郡山城を取り上げてみることにした。

大和郡山城は、戦国末期から江戸時代にかけて大和国支配の中心となった重要な城で、筒井順慶・豊臣秀長・増田長盛・水野勝成・柳沢氏らが整備を重ねたことで、多層的な歴史と独特の石垣文化を持つ名城である。


1.天守

– 天正期に建てられた天守は伝5層6階とされ、当時としては大規模。
– 順慶時代に完成した天守は、秀長時代にさらに整備が進んだと考えられる。
– 1600年以降、天守は二条城へ移築されたと伝わる。
– 現在は天守台のみが残り、展望施設として整備されている。

2.  縄張り
大和郡山城は、輪郭式の平山城で、自然地形と人工堀を巧みに組み合わせた構造が特徴。
■主な曲輪構成
– 本丸・天守郭
– 毘沙門郭・緑郭(秀長期に整備)
– 二の丸・三の丸(江戸期に整備)
■外堀の大規模改修
– 増田長盛が秋篠川の流路を変え、旧河道を外堀として利用。
– 西側は溜池、北側は窪地を利用し、自然地形を最大限活かした防御線を構築。
■城下町の計画性
– 秀長が整備した「箱本十三町」は自治制度を持ち、商業都市として発展。
– 大坂城防衛の拠点としての性格も持っていた。

3.  石垣
 大和郡山城の石垣は、転用石(リサイクル石材)文化の宝庫として全国的に有名。
■奈良の寺院石材を大量転用
 奈良は良質な石材が乏しかったため、下記のような石が大量に徴発され石垣に組み込まれた。
  – 寺院の石地蔵
  – 墓石
  – 五輪塔

  – 仏塔の石材

■平城京羅城門の礎石まで使用
 平城京羅城門の礎石とされる石材が石垣から見つかっている。

■頭塔の石仏が出土
 奈良市の8世紀仏教遺跡「頭塔」の石仏が石垣から発見されており、文化財的にも極めて貴重。
■五郎太石の徴発
 奈良一帯の各戸に「五郎太石20荷」の提供を義務付けたという記録も残る。

4. 歴史的背景
■起源は郡山衆の「雁陣之城

 10世紀後半、郡山衆と呼ばれる土豪が館を構え、雁陣之城と呼ばれる初期城郭を築いたのが始まり。

筒井順慶による大規模改修(1580〜)
– 1580年、織田信長の命で筒井順慶が入城し、本格的な築城を開始。
– 多聞山城の石材を運び込み、奈良中の大工を動員。明智光秀も工事を見回ったと伝わる。
– 天正11年(1583)頃に「天守」が完成したとされる。

豊臣秀長による100万石の城郭整備(1585〜)
– 1585年、秀吉の弟・豊臣秀長が大和・紀伊・和泉100万石の本拠として入城。
– 春日大社の水谷川から大石を切り出し、寺院の礎石・五輪塔・石地蔵などを転用して石垣を築く。
– 城下町「箱本十三町」を整備し、自治制度を導入するなど、政治・経済の中心地として発展。

増田長盛〜江戸期の整備
– 秀長・秀保の死後、五行の増田長盛が入城し、外堀の大規模普請を実施。秋篠川の流れを変えて堀に利用した。
– 関ヶ原後は徳川方により建物の多くが伏見城・二条城へ移築された。
– その後、水野勝成・松平忠明・本多氏・柳沢氏が入城し、近世城郭として整備が進む。

現在の大和郡山城
– 石垣・堀・土塁が良好に残り、国の史跡に指定。
– 追手門・隅櫓・多聞櫓などが市民活動により復元されている。
– 春には約800本の桜が咲き、「日本さくら名所100選」に選ばれる名所。

まとめ
大和郡山城は、
– 筒井順慶の戦国城郭
– 豊臣秀長の100万石の政治拠点
– 増田長盛の総構え
– 江戸期譜代大名の整備
という多層的な歴史を持ち、特に転用石文化を象徴する石垣は全国でも唯一無二の存在である。