鶴ヶ城を訪れた昨日は快晴に恵まれたが、今朝、少し肌寒い小雨の中、向羽黒山城に向かう。向羽黒山城は、戦国時代屈指の規模を誇る巨大な山城で、会津の支配者であった蘆名氏が築いた、東北地方最大級の城郭遺構として知られている。いかにも手強そうな感じがしたので、事前にセンターで見学の仕方をよく確かめておく必要があると思っていた。

会津若松駅前のバスターミナルで乗車、会津美里町にあるインフォメーションセンターで下車し、お城までの行き方と帰りのバスとJR時間を聞いてみた。頂上まではずっと上り坂で早い人で徒歩45分、普通1時間はかかると思ったほうがよいとのこと。往復だけで最低90分かかることが分ったので、行きだけでもタクシーを呼べるか聞いてみた。呼んでも直ぐには来ないというので諦める。(その結果大変なことに・・・)

帰りについては、バス停はすぐ前だがJR本郷駅までは徒歩20分ほどかかるという。城跡の見学時間は個人差が大きいのとアクセスはよくないので、時間調整が難しい。下山後の残り時間と、JR、バスそれぞれの発車時間でどちらか決めることになる。結局、帰りは小雨降る中を半分走るようにして坂を下り、何とかバスに間に合った。途中、車で来ていた人と出会ったが、帰宅後の疲労の蓄積を考えると、ここは車で来るのが正解だと思った。

1. 歴史的背景

  • 築城: 永禄11年(1568)、会津の名族・蘆名盛氏(あしな もりうじ)によって築かれた。盛氏が隠居所として、また軍事的な要塞として築いたもの。
  • 蘆名氏の全盛期: 当時の蘆名氏は「奥州の太守」と称されるほどの勢力を持っていた。この城は、伊達氏などの強豪に対する防衛の拠点として機能した。
  • 廃城: 蘆名氏が伊達政宗に敗れた(摺上原の戦い)後、伊達氏、蒲生氏、上杉氏と支配者が変わるが、慶長5年(1600)の上杉景勝の時代、関ヶ原の戦いに伴う戦略的な判断などにより廃城となった。

​2. 城郭の構造と規模

向羽黒山城は、標高約400m、比高(麓からの高さ)約190mの山全体を要塞化した連郭式の山城。

  • 東北最大級: 遺構の広さは南北約1.4km、東西約1.0kmに及び、国指定史跡となっている。
  • 要害の地: 阿賀川(大川)を天然の堀として利用し、三方を急峻な崖に囲まれた、非常に堅固な守りを誇る。
  • 主要な曲輪:
    • 一の曲輪: 標高の一番高い場所に位置する実質的な本丸。周囲には巨大な石積み(石垣)が一部残っており、当時の威容を伝えている。
    • 二の曲輪: 盛氏の居館があったとされる場所で、非常に広い面積を持っている。
    • 三の曲輪: 多くの家臣団を収容できたと考えられている。

3. 見どころと特徴

  • 巨大な空堀と土塁: 山城ならではのダイナミックな地形加工が、今も鮮明に残っている。
  • 石垣の先駆け: 東北の山城としては非常に早い段階で「石積み」が導入されており、近畿地方の城郭の影響や、技術の高さがうかがえる。
  • 絶景: 本丸付近からは会津盆地を一望でき、磐梯山を望む素晴らしい景色を楽しむことができる。
4.戦国大名たちによる改修
1589年(天正17年)、蘆名氏が伊達政宗に「摺上原の戦い」で敗れた後も、会津領主となった政宗・蒲生氏郷・上杉景勝らが改修して利用し続けた。特に上杉氏は、豊臣秀吉の命により会津に移封となった1598年(慶長3年)から1599年(慶長4年)にかけて、韓国の熊川倭城を参考に籠城戦を想定した大規模な改修を加えたという。
上杉景勝・直江兼続は、向羽黒山城を対家康の最後の砦として位置づけていたとされる説もあり、会津で戦いが起こっていれば最も重要な拠点になったと考えられている。

1601年(慶長6年)、関ヶ原の戦いでの上杉軍の敗戦に伴い、廃城となった。

城の規模と構造
城の規模は東西1.4km、南北1.5km、面積は50ヘクタールにも及ぶ。東を流れる阿賀川や東部分の崖などの天然の要害に加え、土塁や堀などの防御施設がいたるところに造営されている。 

その広さは上杉謙信の居城であった春日山城をしのぐとも言われており、全国でも有数の山城。

主郭の一の曲輪は山頂にあり、南西から北東に連なる。主郭北西下には横堀が巡り、北東下に枡形を備えている。南西下には大堀切があり、東西両側に竪堀が山腹まで伸びている。二の丸から三日町方面へ降りるルートには、枡形・馬出し・ジグザグの通路・巨大な竪堀と横堀の組み合わせなど、見所が満載。

文化的価値と現在
平成13年(2001年)8月7日、一曲輪・二曲輪・御茶屋場曲輪など多くの遺構を残す岩崎山を中心に、国指定史跡となった。

また平成29年(2017年)4月6日には「続日本100名城」にも選定されており、スタンプラリーのスポットとして全国の城郭ファンに親しまれている。

現在の遺構は隠居城というには遙かに壮大で、虎口などは非常に技巧的かつ規模が大きく、蘆名氏の後に会津を領した伊達・蒲生・上杉の各領主によって改修が重ねられた痕跡を色濃く残している。  

二曲輪広場や御茶屋場曲輪からは、磐梯山や飯豊山、会津若松市を望むことができ、会津一円を見渡せる絶景スポットにもなっている。

 

アクセス
JR只見線・会津本郷駅から徒歩20分、または会津若松駅からバス「本郷行き」で約30分、「インフォメーションセンター前」バス停下車。城跡入口には「向羽黒ギャラリー(向羽黒山城跡整備資料室)」があり、発掘調査の様子や城の立体模型などが展示されている。