三重県の伊勢亀山城は、鎌倉期に始まり、戦国・江戸を通じて姿を変えながら発展した城郭。現存する多聞櫓や石垣、堀跡などから、近世城郭としての構造をよく読み取ることができる。亀山城はまた、藩主交代の多い城としての特徴もあるので、再度まとめてみた。

1. 歴史的背景

 伊勢亀山城は、鎌倉時代に関氏が築いた古城を起源とし、戦国期の争乱を経て、豊臣・徳川政権下で近世城郭として整備された。

■ 鎌倉時代:関氏の築城
– 文永2年(1265)、伊勢平氏の流れをくむ関実忠が若山に築城したのが始まり。
– のちに現在地へ移転し、関氏五家を束ねる宗家の居城として発展。

■ 戦国時代:織田信長の侵攻
– 永禄10年(1567)以降、織田信長の伊勢侵攻によりたびたび戦場となる。
– 天正11年(1583)には蒲生氏郷が城主となる。

■ 豊臣政権期:岡本良勝による大改修
– 天正18年(1590)、秀吉に従った岡本良勝が入城し、本丸・二の丸・三の丸・天守を整備して近世城郭の骨格を形成。

■ 江戸時代:藩主交代の多い城
– 伊勢亀山藩の藩庁として利用され、松平氏・本多氏・石川氏など多くの大名が入れ替わる。
– 東海道の要衝であり、家康・秀忠・家光の三将軍が宿泊した記録もある。

2. 天守の特徴
   伊勢亀山城の天守は、現存しないものの、史料からその変遷が知られています。

■ 岡本良勝期(1590年頃)
– この時期に天守が築かれたとされる。

■ 江戸初期の「取り壊し事件」
– 寛永9年(1632)頃、堀尾忠晴が「丹波亀山城」と間違えて伊勢亀山城の天守を破却したという有名な逸話がある。
– 天守は再建されず、寛永13年(1636)に本多俊次が天守台に多聞櫓を建設。

■ 現在
– 天守台上に移築された多聞櫓(県指定文化財)が現存。

3. 縄張りの特徴
   伊勢亀山城は、梯郭式平山城として構成され、城下町と東海道を押さえる要衝として機能した。

■ 梯郭式平山城
– 本丸を中心に二の丸・三の丸が階段状に配置される構造。

■ 主要曲輪
– 本丸:天守台・多聞櫓が所在
– 二の丸・三の丸:岡本良勝期に拡張され、城の規模が大きく拡大。

■ 東海道支配のための立地
  – 城は東海道に近接し、交通・軍事の要衝として重要視された。

4. 石垣の特徴
    伊勢亀山城の石垣は、近世城郭としての整備がよく残っている。

■ 近世的な石垣
– 岡本良勝期〜江戸初期に整備された石垣が現存。
– 本丸周辺に良質な石垣が残り、堀・土塁とともに遺構として確認できる。

■ 多聞櫓と石垣
– 天守台上の多聞櫓とその下の石垣は、城の象徴的遺構。

まとめ:伊勢亀山城の魅力
伊勢亀山城は、
– 鎌倉期の関氏の古城を起源とする長い歴史
– 豊臣期の大改修で近世城郭として完成
– 天守取り壊し事件という特異な歴史
– 多聞櫓・石垣・堀などの良好な遺構
– 東海道支配の要衝としての機能
といった特徴を持つ、歴史の層が非常に厚い城郭である。