小田原城 のお茶壺曲輪は、二の丸の南側に設けられた小規模な曲輪で、江戸時代には将軍家に献上する宇治茶の茶壺を保管した場所として知られているもともとは軍事施設として築かれた曲輪だが、後に「御茶壺蔵」が置かれたことで、「御茶壺曲輪」という名前で呼ばれるようになった。

役割
小田原城では、この曲輪は単なる空き地ではなく、三の丸南側から二の丸へ入る入口で、敵を足止めする「捨曲輪」、馬出のような防御空間として機能していた。特に、小田原城は近世に総石垣化された城であり、お茶壺曲輪も堀・土塁・門によって厳重に守られていた。敵がここへ侵入しても、すぐ二の丸には入れず、周囲から攻撃を受ける構造になっていた。

「御茶壺道中」との関係
江戸時代、徳川将軍家へ献上する宇治茶は、「御茶壺道中」という特別な行列で運ばれていた。この道中では、京都・宇治から江戸へ茶を運ぶ往路では、空の茶壺を運ぶ小田原城内で茶壺を一時保管するという役割があった。そのため、この曲輪には「御茶壺蔵」が設けられ、警備のための番所も存在したとされている。

江戸時代の小田原は東海道最大級の宿場・要衝だったため、幕府の重要物資を安全に扱う中継地点でもあった。

現在のお茶壺曲輪周辺では、下記などが見どころとなっている。
・御茶壺橋(正式名:小峯橋)
・南堀
・土塁跡
・番所跡の案内板

特に、御茶壺橋から眺める石垣や水堀は美しく、近世小田原城の「総石垣の城」としての雰囲気を感じられる場所である。また、隣接する馬屋曲輪・銅門へ続く導線を見ると、「敵をまっすぐ進ませない」小田原城の巧妙な縄張りもよく分かる。