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北条五代

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小田原城は神奈川県小田原市にある日本を代表する名城のひとつである。相模湾を望む小高い丘(八幡山)に築かれ、戦国時代には難攻不落の城として名を馳せた。
北条五代の歴史

後北条氏(小田原北条氏)は、鎌倉幕府の執権・北条氏とは別の家系で、伊勢宗瑞(いせそうずい)を祖とし、関東を約100年にわたって支配した。

初代 北条早雲(伊勢宗瑞) 1432〜1519年
素浪人から身を起こし、駿河の今川氏に仕えたのち、伊豆・相模を平定、1495年に小田原城を奪取し、後北条氏の基盤を築いた。戦国大名のはしりとされ、「下剋上の先駆け」と評される。民政にも力を入れ、年貢の軽減など善政で知られる。

二代 北条氏綱(うじつな) 1487〜1541年
父・早雲の遺志を継ぎ、領国を武蔵・上総へ拡大、「北条」の名字を初めて名乗り、氏を確立した。武田・今川と同盟(甲相駿三国同盟の基礎)を結び、小田原城の拡充・整備を進めた

三代 北条氏康(うじやす) 1515〜1571年
北条氏最大の名君と称され、関東覇権を確立、1546年の河越夜戦で上杉・古河公方の大軍を奇襲撃破して(戦国三大奇襲のひとつ)名を馳せた。上杉謙信・武田信玄と対抗しながら、関東の大半を支配下におさめた。検地・税制改革など内政も整備し、「相模の獅子」と呼ばれた。

代 北条氏政(うじまさ) 1538〜1590年
最大版図を実現し、一時は関東・伊豆・相模・武蔵などを支配した。豊臣秀吉との対立が深まり、小田原の役(1590年)を招くこととなった。小田原城に5万とも言われる大軍を籠城させ、秀吉の20万の大軍と対峙し、約100日間の籠城の末、開城。氏政は切腹して生涯を終えた。
五代 北条氏直(うじなお) 1562〜1591年
氏政の嫡男。徳川家康の娘・督姫を正室に迎える。小田原の役では父とともに籠城を指揮した。開城後、家康の取り成しにより死罪を免れ、高野山へ追放される。翌年、赦免されて大名復帰が決まったが、病により29歳で早世した、氏直の死をもって後北条氏は事実上滅亡となった。


小田原城の特徴

項目 内容
築城 15世紀初頭(室町時代)
最大規模 総構えの周囲約9km、城下町を丸ごと囲む
難攻不落の理由 広大な総構え+天然の地形(丘陵・湿地)
現在の天守 1960年に再建(鉄筋コンクリート造)
小田原城の「総構え」は、城だけでなく城下町全体を土塁と堀で囲んだ巨大な防衛システムで、当時としては日本最大規模だった。豊臣秀吉でさえ、正面攻撃を避けて兵糧攻めを選んだほどである。後北条氏5代・約100年の歴史は、戦国時代の関東を語る上で欠かせない一大ドラマであった。
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