鶴ヶ城は、激動の歴史の中で何度も形を変えながら、会津のシンボルとして存在してきた。

  • 起源と蒲生氏郷の築城:
    1384年に葦名直盛が築いた「東黒川館」が始まりとされている。その後、豊臣秀吉の命で会津に入った生氏郷が、石垣や堀を備えた近世城郭へと大きく改修した。氏郷の幼名「鶴千代」にちなみ、「鶴ヶ城」と呼ばれるようになったといわれる。
  • 「難攻不落」の舞台:
    幕末の戊辰戦争(会津戦争)において、新政府軍の猛攻に対し約1ヶ月もの籠城戦を繰り広げたことで、「難攻不落の名城」としてその名を歴史に刻んだ。当時の城は砲撃に耐え抜く堅牢さを誇った。
  • 破壊と再建:
    明治7年(1874年)に政府の命令で取り壊されたが、多くの市民や関係者の熱意により、昭和40年(1965年)に外観が復元された。

​文化的意義と特徴
鶴ヶ城には、厳しい雪国で培われた独自の知恵や、歴史的に重要な文化の結びつきが残されている。

  • 唯一無二の「赤瓦」:
    2011年に、戊辰戦争当時の姿を再現するため、国内で唯一、屋根瓦が赤瓦に葺き替えられた。これは厳しい冬の寒さと雪に耐えるために会津で開発された特別な瓦であり、鶴ヶ城の最大の特徴である。
  • 茶道文化の拠点:
    城内にある茶室「麟閣(りんかく)」は、千利休の息子、少庵が建てたとされる由緒ある茶室。蒲生氏郷が利休の死後、少庵を会津へかくまい、千家茶道の再興を秀吉に願い出たことで、現代に続く茶道の歴史が守られた。
  • 歴史を物語る石垣:
    城内には、時代によって積み方の異なる石垣が混在している。蒲生氏郷時代の「野面積み」は、自然石を組み合わせたもので、大地震にも耐える堅牢さを誇る。これらは当時の築城技術を知る貴重な史跡である。

鶴ヶ城は、戦国武将たちの志や、幕末の悲劇、そして会津の誇りが詰まった場所であるが、そのことをより感じられたのは、飯盛山にある白虎隊士の墓所を訪れた時だった

わずか16歳、17歳という若い身空で戦に駆り出され、尊い命を落とした少年たち。それも城に火の手が上がるのを見て勘違いして自刃したという悲劇には、時代とは言え何とも言葉が出ない。

~飯盛山、白虎隊墓所にて~