人物
関盛信
関盛信は、戦国時代から安土桃山時代にかけて伊勢国(現在の三重県)北部で勢力を誇った伊勢北伊勢八家の一人であり、亀山城の歴史を語る上で欠かせない重要人物である。彼は、鈴鹿川流域を支配した関氏の当主として、激動の時代を生き抜 …
筒井定次
筒井定次(つつい さだつぐ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけて活躍した武将・大名で、伊賀上野城を築いた人物として知られています。 養父である筒井順慶のイメージや、その後の改易といった結末から、歴史上では「暗愚」あるい …
北畠親房
北畠親房は、南北朝時代を代表する公家であり、軍事指導者、そして歴史書『神皇正統記』の著者としても知られる多才な人物。伊勢国(現在の三重県)を拠点とした北畠氏の重鎮として、田丸城との関わりも非常に深いものがある。 1 …
蒲生氏郷
蒲生氏郷は、戦国武将・大名・城下町建設者・キリシタン・文化人という複数の顔を併せ持つ、言わば、戦国時代が生んだ「総合プロデューサー型大名」、きわめて完成度の高い人物である。 1. 基本情報 生没年 1556年(弘治2)- …
藤堂高虎(7)赤木城
伊勢街道からは少し外れるが、三重県熊野市にひっそりとたたずむ山城「赤木城」がある。石垣の美しさと苔むした静寂の風景が印象的な歴史的名所である。一見すると観光地化されていない素朴な城跡だが、その背後には激動の時代を生き抜い …
藤堂高虎(6)伊勢は津で持つ
関ヶ原合戦 関ヶ原戦当時の安濃津城主は富田信高であった。彼も東軍に属し家康に従って下野小山まで出かけていた。その留守に毛利秀元、吉川広家、宍戸元次、鍋島勝茂、龍造寺高房、長宗我部盛親、毛利勝永、安国寺恵瓊、長束正家などの …
藤堂高虎(5)伊賀忍者
高虎が大御所家康の駿府城に呼び出されて、そこに滞在している将軍秀忠から伊賀一国十五万五百四十石、伊勢安濃津ならびに一志郡で五万四百十石、それに伊予越智郡で二万石、合わせて二十二万九百五十石の地に転封を命じられたのは、慶長 …
藤堂高虎(4)家康との出会い
家康との出会い 紀州・四国を制圧し、関白に就任して天下を取ったと自負する秀吉にとって、未だに自分と対等の立場を変えない家康の存在は最も気になるものであった。何とかして、諸大名の見ている前で、家康を家臣として跪かせたい、再 …
藤堂高虎(3)秀長との出会い
五人目の主君 信長の浅井長政討滅に抜群の功績のあった木下藤吉郎秀吉は、浅井の旧領・湖北三郡一二万石を与えられ小谷城主となったが、間もなくその城を湖岸の今浜に移し、信長の名に因んで長浜と改め、長浜城を築いて羽柴筑前守と称し …
藤堂高虎(2)転機
姉川合戦 与吉の初陣は、浅井・朝倉連合軍が、織田・徳川連合軍に敗れた姉川合戦であった。当時弱冠15歳の与吉(高虎)が取った兜首を小谷城に持ち帰ると、浅井長政は初陣の功にと脇差を与えた。この活躍ぶりはいちはやく浅井家の家中 …


















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